自転車を置いていたところに戻り、少し先へと進むと視界が開けて、都心方面を見渡すことができます。
写真中央に、六本木ヒルズが見えますね。ここからは28kmほど離れています。その右側にあるのは虎ノ門・麻布台プロジェクトのメインタワーでしょうか。
あたりには、4月〜5月初旬は菜の花が咲き誇っています。近くには「町田ぼたん園」や「薬師池公園」といった公園も点在しているので、時間に余裕があれば寄ってみるのもよいでしょう。そして今回は、野生のキジにも遭遇しました。
鎌倉古道の推定ルートは、通称「鎌倉井戸」から「町田ダリア園」の裏手へと続いています。この巨木は桜で、満開の時期にはすばらしい景観を見せてくれます。
丘陵地帯から台地へと降りていきます。右側に団地(山崎団地)が広がります。
坂を下って交差点に出ると「パンパティ」というあたりでは名の知れたベーカリーがあります。せっかくなのでパンを買って、近くの公園で食べました(イートイン可能ですが、混んでいたので)。
リンク: パンパティ
休憩も済んだので、先に進みます。
こちらは、日蓮宗のお寺「宏善寺」です。境内の仁王門には、立派な金剛力士像があります。そして、日蓮聖人の像も。宏善寺は、日蓮が佐渡に流される際に立ち寄った観音堂を、日蓮宗の寺院に改めたものと伝えられています。その観音堂は近くの別の場所(後述)にありましたが、当時の戦乱で消失し、のちに現在地に再建されたそうです。
リンク: 町田宏善寺 日蓮宗 久住山
続いて目指すのは「菅原神社」です。ちょっと急な坂を登った先に、現代の鎌倉街道と鶴川街道が合流する「菅原神社」という交差点があるので、迷うことはないでしょう。
鎌倉幕府が崩壊した後の1335年に起きた「中先代の乱(なかせんだいのらん)」では、「井出の沢」と呼ばれたこの地が合戦の舞台となったことで知られています。
鎌倉幕府再興を目指し信濃から攻めてきた北条時行の軍(旧鎌倉幕府勢)と、それを迎えうつ足利直義の軍がここで戦ったのです。足利直義の軍が敗れて北条時行が鎌倉に入りますが、20日あまりで足利直義とその兄である足利尊氏によって鎮圧されました。
そんな井出の沢に菅原神社が建立されるのは、1630年のこと。現在、この地は「井手の沢古戦場」として東京都旧跡に指定されており、菅原神社の境内に石碑が立っています。
リンク: 東京都町田市の菅原神社|初詣 お宮参り 七五三 合格祈願など各種承っております
ちなみに、先ほどの「宏善寺」の由来となった観音堂は、もともと井出の沢にあったと言われています。
次は、今回のゴール地点に設定した「町田天満宮」を目指します。
菅原神社から先、町田駅方面へ伸びる「鶴川街道」が鎌倉古道のルートに近いので、素直にそちらを通り、町田天満宮までやってきました。鎌倉古道はここから先、瀬谷や藤沢を通って鎌倉に至ります。今日はここをゴールとしました。
「Strava」というアプリを使ってログをとっていたのですが、走行距離は約25km(徒歩での散策も含んだ数字)、そして獲得標高(登った高さ)が411mでした。走行距離に対して意外と登ったな——という印象ですが、電動アシストクロスバイクだと、運動強度が程よいレベルで保たれるのがよいですね。
リンク: 電動クロスバイク TB1e(ティービーワンe) | ブリヂストンサイクル株式会社
というわけで、今回のログを貼っておきます。途中、道に迷っているところもそのままログになっているので、あしからず。
今回紹介した場所は、Googleマップのリストにもまとめてあります。
https://goo.gl/maps/2STLRDHE6GjT2v2x8
今回は筆者の地元から近い東京都町田市内の鎌倉古道を紹介しましたが、現代に「上ノ道」として伝えられる鎌倉古道は高崎から鎌倉までの長い距離があり、荒川沿いからアクセスしやすいところもあれば、多摩川沿いからアクセスしやすいところもあります。自宅からアクセスしやすいところから走って、何回かに分けて走破してみるのも面白いのではないでしょうか。
text&photo_SUGAI Gen
参考文献:『40代からの街道歩き《鎌倉街道編》』 街道歩き委員会 内田晃(著) 三省堂書店
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